なぜ、絵を描くのか?

環境や心身にわるくない「美容」を求めて

環境や心身にわるくない「美容」を求めて

よく綴っている「環境や心身にわるくない暮らし」とは、

私が日々心掛けたいと思っていることであり、生涯求めてゆきたい、理想の状態。

これは「自然環境」や「心と身体の健康」を出来る限り害さないよう日々選択してゆく暮らし、のことなのだけれど、

実際に日常生活に取り入れて進んだ先にある、あらゆるもののうちに「美容」もあり、今日はそのおはなし。

美容と私 1

美容…。

恥ずかしながら私はこれまで、そこにほとんど興味を持たずに生きてきた。

高校時代〜20代

高校の頃にメイクを始めて以来「化粧直し」という行為がどうしても性に合わず、それが必要になるものから逃げ続けていた。

ファンデーションや色付きのリップは、それに該当するので、しない。
ついでに「染め直し」の行為も性に合わず、ヘアーカラーも20代に入って間も無くやめた。同じ頃ビューラーや、剃毛も極力やめた。

洗顔後は、化粧水を。

昔からその話になると周りの女性からは、驚かれたり、説得や叱咤されることが多かった。
化粧水の後には、乳液や美容液を、重ねなければならないらしい。

でも、それらを使わないことで困った事態に陥るのには、自分の肌に対してそれ相当の興味を持っていなければならず、彼女たちの言う事の深刻さが、私にはよくわからなかった。

そんな感じのまま、美容院でレセプショニストとして務めていた時期があると思うと、なんだか申し訳ない気持ちになるけれど、20代の頃は夜更かししたり、煙草やお酒も楽しんでおり、それもこれも若かったからこそ、なんとかなっていたのだと思う。

なんにもしない30代

そして現在進行形の、30代。
「30代になったら、さすがにきちんと美容をやるようになるかな」という昔の自分の予想を完全に裏切り、その真逆へ。

2019年の年末に、突如「メイクをしない生活」がしたくなり実行。

2020年に、コスメ産業の海洋汚染や水資源の大量消費の問題を知り、さらに気持ちが離れる。
シャンプー後のトリートメントやコンディショナーも、手間と効果が割りにあっているか疑問に思い始め、やめる。

2021年の今年は、引越しを機にいろいろと試してみたくなり、以前にスキンケアが疎かということを書いたけれど、本当に、何も美容をしない生活へ…。

引越し後、日々窓から山が見える家ですごし、外に出れば自分の畑や、湖や山並みが毎日違う表情を見せてくれるような環境で暮らすようになり、

自分や家族にとって大事なものがより大事に、それと比例するように、不要そうなものが浮き彫りになっていくような感じがあった。

そうなると、興味の薄いものから順に、生活から削がれてゆく。

肌について

まず、唯一していた化粧水を、つけなくなった。

メイクをしないとどうなるか?

2019年末にメイクをしなくなった理由も、自分でもよくわからなかったのだけれど、大体いつも「これからはこうしよう」と決意するわけではなく、軽い気持ちで試してみたくなる。

「もしメイクをしなくなったら、どうなるんだろう?」

結果は、まずはメイクをする手間も落とす手間もなくなり、らく。

それから、彼がノーメイクの方がいいと思っていてくれている事がわかったのも、メリットだった。やっぱり彼は、少し変わっている。

気付いたことは、メイクをすることで気分を変えたり、上げたりすることが出来る効果があり、それが日常からなくなると、少し寂しいということ。

化粧水をしないとどうなるか?

そして、「化粧水をしなくなったらどうなるか?」。

季節が、暖かく湿度の高い時期だったこともあり、当初の結果はただただ、らく。
同時に日焼けの季節でもあったので、日焼けや乾燥を感じた日は、例外とした。

ただ、久しぶりにじっくり自分の顔を見ると、小さなシワやシミが微妙に増えたような気も。
服を選ぶとき以外あまり立つことのない鏡の前で、我ながら化粧品のコマーシャルみたいなことしてる、と思った。

髪について

湯シャンとオーガニックシャンプー

シャンプーに関しては、思えば20代の前半から「環境や心身にわるくない」ものをなんとなく選んで、使っていた。

引越し後はそのレベルを上げたものを夫婦で使い、髪の長い私は、きしみとの闘い。

オーガニックのシャンプーを使うと決めたら、配合物の度合いにもよるけれど、髪の滑らかさを生贄として差し出さなければならない。
毎日一緒に入浴する彼も試してみたが、短髪なのでそこはさほど気にならないらしい。

20代半ばに、頭皮が乾燥していたのか短い毛がつんつん出てきて仕方がない時期があり、その頃からシャンプーするのを1、2日おきにしていたので、そのリズムも継続。

さらに「湯シャン」なるものを試してみたくなり、よく知らないまま、数ヶ月間実行。

つまり、気温の高い時期に、毎日もしくは1日おきに、湯シャンときしきし洗いを繰り返していた。

結果としては、たしかに環境にはわるくない習慣だったけれど、心身にはあまり良くなかったと思う。

しばらく経った後「私の髪って、こんなだったっけ?」というような状態になった。

失敗と反省

気になっていたことを、何でもかんでも試してみた、引越し後の数ヶ月間だったけれど、ことさら無頓着な美容に関しては、はっきりと失敗と反省のある試みだった。

化粧水をしなくなってしばらく経った頃、少しずつ肌の艶のようなものが減っていったような感じがあった。

今は、空気が乾燥してきたこともあり、これまで通り乳液や美容液はしないものの、化粧水だけはするように。

「なくてもある程度は大丈夫」ということはわかったけれど、鏡をみて気分が上がらないのは、心によくないな、と。

ちなみに昨年からしなくなったメイクは、肌には相変わらず日焼け止めのみだけれど、昨年の途中からアイブロウ、アイシャドウはするように。
少し気分が上がるし、特にマスク社会の現在、私にはこれで充分。

いちばんの反省

シャンプーについては、最も反省した…。

涼しくなってきた頃、珍しく都内へ出る用事があり、せっかくなのでついでに髪を切ってもらいに、長年お世話になっているSちゃんのもとへ。

久々に会って私の髪を触った瞬間、あまりに以前と様子が違うので驚いていた。

彼女いわく「オーガニックへのこだわりが過剰になってきた人」の、髪の状態になっているとのこと。
この数ヶ月間試してみたことを話すと、シャンプーで汚れが落ち切らずに蓄積していたよう。

じつは例のシャンプーの方法を始めてから、ヘアブラシの汚れ方が激しくなり、それまではそこまで頻繁でなかったのに、ブラシの掃除をすることが増えていた。
それに、毎晩洗顔しているのに、なぜかおでこを触るとざらざら感がなくならない。

汚れが落ち切らずに蓄積していると聞いて、ぞわぞわっとした。

Sちゃんに、3回も入念にシャンプーしてもらい、すっきり、さらさらに。

引越し前に使っていた、少しケミカル成分の入っているくらいのシャンプーで髪の調子が良かったのなら、それに戻したほうがいい、ということで、後日即購入。オーガニックレベルの高いものの残りは、彼に使い切ってもらうことに。

Sちゃんにきれいにしてもらい、シャンプーの仕方を元に戻したら、ブラシの汚れも、おでこのざらざらも、すっかり改善した。

後から知ったけれど、湯シャンも、皮膚炎等の悩みを持つ人がすることでよい効果があるそうで、大して悩みのなかった私がやるべきではなかったと、深く反省…。

でもまぁ、試してみて知れたことは、よかった!と、前向きに捉えることにした。

無知って、こわい。

美容と私 2

化粧直しが苦手とか、化粧水やシャンプーをやめてみたりとか、ずぼらエピソードばかり書いてしまったけれど、美容に関して、大切にしていることもある。

化粧品をたくさん揃えたり、毎日欠かさず丁寧にケアするようことは出来る限り避け、最低限で留めたい。

ならば「そうする必要のない基礎を作っておけば良い」と、思っている。

食や生活リズムが崩れて体調をわるくするのは、肌や髪にとっても同じことで、健康と美とはイコールだと思う。

健康的に過ごさずに、高級な化粧品を塗り重ねたとして、きれいになれるのか?

栄養に気を付けて食事をする、水分を充分にとる、適度に運動する、睡眠を必要なだけとる。

これをしてまだ不調なら、慎重なケアや治療の必要があると思うけれど、私はこの基礎を固めることに注力して、ほかのこと、特にお金のかかることは、極力がんばらない人でいたい。

これはおそらく、以前にも書いた「無闇に買わない、捨てない」という性格の延長で、ずっと若い頃から、なんとなくそんな風に思っていた。

例えば「肌が荒れたからファンデーションを厚塗りする」のではなく、その原因となることを改善して肌を治すという方が、私にはしっくりくる。

そして、自分のためにほんの少し、気分の上がるものを選択する。

それが私にとっての、「環境や心身にわるくない」美容のやり方。

写真:今日のyogiティー。