なぜ、絵を描くのか?

蛍の棲むまち

蛍の棲むまち

もう、1ヶ月以上前のことになってしまったけれど、ある日の、とてもいい夜について。

偶然の発見

梅雨が間近の日。

散歩強化月間の最中、こんな看板を発見。

蛍!

神奈川県の水源を担う相模原、だけれど、

とは言え蛍がいる水辺って、相当に澄んでいなければならないはず。

帰りに見た夕焼け

「絶対に見に来よう!」と興奮しながら決意を交わし、帰宅後、詳細を調べてみる。

水源の街、相模原

看板のあった場所は、相模原市緑区の、三ケ木というエリア。

「三ケ木地区ホタル舞う水辺環境保全等活動区域」とされている水路のようで、地元の保存会によって、管理されているみたい。

そして、ウェブサイトによると、相模原には、この他にも蛍のいる水路が、いくつも存在するらしい。

まだ都内に住んでいた頃、藤野に恋に落ちて、いろいろと調べていたときに読んだ、

かつて藤野が芸術村となっていく過程の時代に、県庁の企画部計画室の室長をされていた山崎征男さんのインタビューが大好きで、

そこに、こんなことが書かれていた。

もともと県は、上流から下流まで、すべてを開発しようという気はありませんでした。なぜかというと、これは完全に都市のエゴなんだけれども「大事な水源だから」ですね。

ただし水源地の有り様として、ただ森林を涵養していればいいというわけではなく、水源機能を壊さない形で定住人口が増える何かができないかと考えました。そこで芸術村構想が持ち上がったわけです。

FUJINO ARTMESSAGE

神奈川県の他の町が、都市開発をどんどん進めていく中で、藤野だけは、

その流れに逆らうように、貴重な自然を守り、水源をそのまま活かせる事業方針を考え、

その結果が「芸術村」だったのだそう。

藤野の、芸術村になったきっかけや、現在の立ち位置に収まった流れ、排他的でないウェルカム感の理由などが気になっていた私は、この記事を読んで、とても腑に落ちた。

蛍の看板によってこの記事のことを思い出し、そんな、自然を守られたエリアに住み始められたことが、改めて嬉しく、

しかも、偶然ふらりと歩いた場所で、大通りから入った路地の奥の奥にある、蛍の水路に辿り着けたことが、奇跡のよう。

蛍を初めて見た記憶

私の地元にも、蛍はいた。今でもきっと、いると思う。

自宅の近くでは見られないけれど、水のよりきれいな山の方などへ行くと、見ることが出来た。

小さい頃に、地域のキャンプか何かで、地元の中でもかなりの田舎へ行き、

そこで、日が落ちてから蛍を見るイベントが企画されていて、キャンプ場から行列を作って水路の方へ歩いた。

懐中電灯の明かりだけでほとんど暗闇の中、大人に続いてどんどん進み、蛍が1匹、2匹と現れてきた。

「本当に光ってるー」と驚きつつ進み続けると、無数に蛍の飛び交う場所へ辿り着いた。

それが多分、私が初めて蛍を見た体験だったと思う。

左右も前後もわからないような真っ暗闇の中で、自分のすぐ近くや遠くに蛍が、まるで呼吸するみたいに、ふわ、ふわ、と光り、宇宙のようで感動的だった。

最後の蛍

子供の頃、キャンプで見た記憶があったために、蛍は夏休みの時期に見られるものだと思い込んでいた。

梅雨の終わり頃「そういえば蛍、いつ見に行こうか」という話になり、改めて調べてみると、すでに見頃が過ぎかけていた。

急いでその夜、まだ見られるかどうかダメ元で、再び三ケ木へ出掛けてみた。

例の看板のあたりに到着。
街灯もほとんどなく、かなり暗い。

看板の近くに水路を確認し、その周辺や少し先のあたりをじっと見守る。
が、何も光らない。

彼は、蛍を見たことがないそうなので、ぜひこの日一緒に見たいと思っていたけれど、やっぱり時期が遅かったかな、と諦め、帰ろうとしたとき。

彼が「何かが光った」と言ったので目をやると、

看板近くの水路に、呼吸するみたいに点滅する、小さな光。

「いた〜!! これ、蛍だよ!」「え!これが…!」と、声を殺して、大歓喜。

「そうそう、こんな風に点滅するんだった」と思い出しうっとりと見ていると、その他にも2、3匹いるようで、

光るたびに、お互い「あそこにもいる!」と興奮して教え合う。

一度、すごく近くに飛んできたので、彼の手の中に入れてみたり。

「遅いよ〜、今夜は最後の特別サービスだよ〜」と言われているみたい。

とても小さい光で、写真には全然収められず、彼のカメラでかろうじて写すことが出来た。

ほっこりあたたかい気持ちになり、蛍に「見せてくれてありがとう〜」お礼を言い、帰路へ。

偶然住み始めた土地が、蛍を守っているような自然豊かで、水のきれいな場所で、本当に嬉しい。

自分たちの幸運を噛み締め合った、いい夜だった。