なぜ、絵を描くのか?

結婚写真撮影

結婚写真撮影

結婚写真を撮ろう

私たちが夫婦になったのは数年前。

式はせず、家族や友人を招いて、大好きなレストランでささやかな食事会をした。

食事会中は、私の兄のひとりが撮影係を引き受けてくれ、友人たちもたくさん撮ってくれたおかげで、本当に幸せで楽しげな写真がたくさん残った。

結婚パーティーが済んで一安心していたある日、彼が職場で既婚者の方に
「結婚写真も撮ったほうがいい」と言われたらしい。

結婚写真。

全然考えてなかった…。

結婚パーティーについても改めて書こうと思うけれど、私たちはどちらも基本的に「主役」にあまり向かないマインドの持ち主なので、「節目なんだから」「花嫁なんだから」と周りに言われて初めて気づくことが、恥ずかしながら本当に多かった。

結婚写真、いいかも。撮りたいね。という話になり、知り合いのあの方に撮影をお願いしよう、とか、パーティーでもお願いした友人にまたヘアメイクをしてもらいたい、など、勝手にざっくりと話し合った。

そこからどんどん時間が過ぎ、浅草橋の、彼の古いお付き合いの写真家の方に「撮っていただきたい」ということだけ伝えたまま、私たちはあれよあれよという間に、浅草から引っ越してしまった。

彼は、公私のいろいろな忙しさにそのことが頭から抜けてしまっていたそうだけれど、
私は「写真家の方に伝えっぱなしみたいだから、早く撮影の機会を作りたい」と思っていた。

改めて話し合い具体的に連絡してみると、少し「今更感」のある案件にも関わらず、お二人には撮影協力に快諾いただき、
そこからは本当に速くて、数日後に撮影することとなった。

実は私のドレスは、コットン素材で手作りしたものだった。

使い終わったら普段着にリメイクして着ようと思っていたので、
そうなる前にもう一度日の目を見ることとなり、個人的にすごく嬉しかった。

写真家のNさんには、事前にドレスとスーツの素材感や雰囲気を、

ヘアメイクの友人Sちゃんには、パーティーの時とがらりと雰囲気を変えたいことや、イメージをなんとなく伝えておいて、

我が家では、彼の髪をいつも通り自宅で散髪、
あとはブーケだけオーダーし、当日を迎えた。

プロフェッショナルの仕事

本当に本当に、
プロってすごい。

まず、ヘアメイクも写真も、私たちがなんとなくイメージしていた比ではないほど素敵な仕上がりで、終始、ただただ感動していた。

完全な普段着でノーメイクでスタジオにお邪魔して、
他愛ない世間話をしている間に、自分が自分でないみたいに変身させてもらえ、

カメラの前に立って特別かしこまるでもなく、普段写真を撮る時と同じようにしているだけで、
あっという間に信じられないくらい素敵な写真になっている。

その一連の流れを体験できたことが私にとっては、ぞくぞくするくらいの感動だった。

ファッションのヘアーがお仕事のSちゃんが、以前に「大変だけれど、フォトセッションの楽しさややり甲斐がやめられないから、この仕事をしている」という話をしていたけれど、
その気持ちを少し、お裾分けしてもらったような気持ちになった。

余韻と夢

撮影後は4人で食事をして、Sちゃんを送って、帰った。

その車の中でも、翌日もその翌日も、
ふたりのプロフェッショナルからもらった痺れるような感動の余韻が、しばらく続いた。

当初、内心「今更感」に恐縮していた気持ちはどこかへ消えて、
一生忘れられない日になっていた。

映画や音楽でもなんでもそうだけれど、表現すること、できることの素晴らしさに触れた時私は、自分も一生懸命がんばろうという気持ちになるし、それと同時に、

自分自身も、絵という表現するすべを持つ者であれたことが、
ものすごく幸せだなことだな、とも思う。

絵を描くことや自分らしく生きることで、誰かの心を動かせたり、感動させることができる、
いつかそんな人になることが、私の夢。

本当に、素晴らしい一日だった。