なぜ、絵を描くのか?

厄祓いの楽しみ方

厄祓いの楽しみ方

昨日2月3日は節分。

昔は豆まきして家内安全を願う日、と思っていたけれど、

30代になってからは「年が明けてから、厄祓いを済ませるデッドライン」としての認識に変わった。

男性は20代、40代、60代とばらばらなのに対し、女性は19、33、37歳が厄年となるらしい。

前厄と後厄も含めきちんとする場合、数え年32歳の年から、あいだに1年あくものの、何年もお祓いをすることになる。

ちなみに今年は最後の後厄の年。 あとは来年、お札をお返しするのみ。

律儀なことに、私はほぼ全てのお祓いを、同じ人と同じお寺でやり遂げた。

Mちゃんとの厄祓い

小学生の頃からの友人Mちゃん。 現在では数少ない、都内在住の幼馴染。

私がドイツから帰国後に会った際に、何かのきっかけで「厄祓いに行こう!」ということになったのが始まり。

それが最初の本厄の年で、厄年ではないあいだの年も、前年のお札をお返ししに一緒に行ったので、今年で合計6回になるのかな。

軽〜いのりで行き始めた厄祓いが、こんなに好きなイベントになるとは。

毎年新年の挨拶もそこそこに、前年にあったことなどを報告し合うのだけれど、

振り返ると本当にお互い、いろいろあった濃ゆ〜い6年間だったな……。

1年を占う日

お祓いをしてもらう場所は、最初の年にお互いの中間地点だった、深大寺。

濃ゆ〜い6回の中でも特に印象に残っているのは、初めて行った年のこと。

ご祈祷の時間が決まっているので、余裕を持ってお寺へ参り、事前に祈祷の申し込みをし、時間までお茶をする。

深大寺の敷地の中には、茶屋やお土産屋さんや蕎麦屋さん、植物園などいろいろあって楽しい。

初めてお祓いに行った日は、晴れていてお日様が温かく、参拝客も少ないとてもよい日で、

私は勇気を出して、縁結びのお守りを購入。

それからおよそ1ヶ月後に、旧友であった彼と再開し、のちに夫婦となった。

厄年であっても、お祓いの日が気持ちの良い日であれば、良い1年になるのでは、という勝手な持論をもつように。

その後は、雨の年も雪の年もあったな〜…。

お祓いルーティン

厄祓いの日の過ごし方は、私たちの中で黄金コースが決まっていた。

お寺に着いたら、まずお参りとご祈祷の申し込み。 時間まで、茶屋で近況報告。

ご祈祷を受けお札をいただいた後、お守りやおみくじを買い、昼食にお蕎麦とお酒を。

つもる話が終わらないので、別の茶屋へ行くか、駅へ戻って喫茶へ行き、夕方にお別れ。

渋めの女子会。

ご祈祷コンサート

私は、ご祈祷を受けている時間が、とてもとても好きだった。

スモークの漂うお堂の両サイドに、お焚き上げの炎がともり、お坊さんが何人も。

法螺貝や太鼓に、お経の声。

お経の声は、ソロになったりハモったり、大迫力の合唱になったり。 ときには早口のスキャットのようだったり。

聴いているうちに、お焚き上げの炎が大きくなりぼうぼうと燃えさかる。

最後に、MCであるお坊さんによるありがたい法話を聴かせていただき、

ご祈祷後は、まるで音楽のライブコンサートを観終わった時のような、何とも言えぬ高揚感。

それになんだかとても、すっきりとする。

とんでもなく不純で不謹慎かもしれないけれど、私はご祈祷をそんな風に、心底楽しみにしていた。

今年のお祓い

今年は我が家に車があるので、彼に運転してもらいMちゃんを迎えに行き、彼とはいったん別れ、ご祈祷の後再度合流することに。

ウィルスの蔓延により、昨年はご祈祷コンサートはなし。

本当に残念で、今年も心配していたのだけれど、少人数で小さめ炎、短縮バージョンを聴くことが出来た。

最後だしフルコーラスが聴きたかったけれど、短縮バージョンでもやはり、素晴らしくかっこよかった…。

彼と合流し、3人でおみくじを引いてみる。

おみくじも、結果に引っ張られすぎてしまうたちで、こわくて長年引けなかったのだけれど、厄祓いが恒例になってからは、楽しめるようになった。

なんと彼は吉で、私は大吉。 今年も慎ましさを忘れずによい1年にせよ、と気合いを入れてもらった感じ。

お昼は、いつものお蕎麦屋さんで、今年は彼も一緒なのでちょっぴり豪華に。

その後はいつもの茶屋で、おしるこなど。

帰りに、この日風邪気味で来られなかったMちゃんの娘ちゃんと、初めましての旦那様にご挨拶をして帰路へ。

今年はいいお天気で、個人的に胸の熱くなるようなMちゃんの新しい挑戦の話が聞け、本当にいい日だった。

茶屋で、彼が食べてとても気に入っていた、おろしの入った揚げ餅なるものを、自宅で焼き餅で再現してみた。

また美味しいお餅のいただき方を、知ってしまった。