畑を作る理由
- 2021.06.04
- DIY オーガニック 庭 暮らし 環境
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引っ越し後、庭で始めた家庭菜園。
今回は、私が野菜を作る理由について。
本当に安全な野菜をいただきたい
自分で野菜を作る理由は、
「農薬や、科学的な薬が使われていない野菜を、日常的にいただくのが理想だから。」
浅草時代、家の近くにはオーガニック野菜をはじめとする自然なものを売っているお店がなく、某野菜の宅配サービスを利用していた。
届く野菜は味が濃くて美味しいし、値段は少し高いけれど、届いてびっくりのビッグサイズだったりと、とても重宝していた。
けれど、宅配サービスを利用してゆくうちに、いろいろなことが気になり始めた。
・完全無農薬ではなく、減農薬の野菜が多いこと。
・注文する段階では、ほとんどのものの産地がわからないこと。
・冊子などの大量の紙類が毎回食材と一緒に届いて、受け取らなくてはいけないこと。
などなど…。
特に3つ目は、私はウェブ注文を利用していたので、必要のない大きな紙の束を毎回どっさり受け取って、返却したり処分したりしなくてはならなく、一度「我が家は要らないので、なくして欲しい」とお願いしたのだけれど、断られてしまった。
当時働いていた会社での業務が、かなりのペーパーレスで行われていたこととのギャップも相まって、このことは私にとっては、地味だけれど、なかなかつらいストレスだった。
減農薬野菜については、もしかしたら、無農薬を目指して少しずつ農薬を減らしていっている段階の農家さんの野菜かもしれなく、それを応援しないことは矛盾になるかもしれない。
しかし、それでもやはり「せっかくいただくのなら無農薬がいい」と思ってしまう。
結局そちらの宅配サービスは、引っ越しで都道府県が変わる場合一度退会する必要があるそうで、それまで便利に利用していたので少し迷ったけれど、引っ越し後は、再入会を見送ることにした。
そして一時期、我が家は「野菜難民」となった。
スーパーの野菜売り場での悲しみ
山の中と言える立地の、現在の自宅のまわりには、意外にもいくつかスーパーマーケットがある。
引っ越し当初「ここにはオーガニックの〇〇がある」「ここには国産大豆使用の〇〇がある」など、それぞれのお店の品揃えを研究しながら買い物をしていて、現在では、欲しいものによって利用するスーパーを変えるなど、やりくりが出来るようになってきた。
けれど、やはりどのスーパーでも、野菜売り場は「安売り」の文字ばかりで「有機」や「オーガニック」は、ほぼ皆無。
地場産の野菜売り場でもそれらの文字はなく、地産地消をしたい気持ちはあるけれど、うーん…。
野菜売り場で「激安」などの文字を目にするたび、ちくりと心が痛む。
野菜を作る農家の方々を想像して、いろんな考えがよぎるから。
「農薬を使うことに抵抗がないのかな」
「安くしないと売ってもらえず、不本意に農薬を使っているのかな」
「農薬を使う仕事で、心身に悪影響が出てしまわないかな」
買い物は投票
「買い物は投票」とよく聞くけれど、確かにそうだ、と思う。
大手メーカーのオーガニックをうたった商品を目にすることが、最近増えているような気がする。
きっとそれは、この「投票」などの、消費者側の意思表示が、少しずつ反映されてきているからなのかな、と思う。
とはいえ、日本に住む人々の多くが、自分の心身や環境にわるくないものを優先的に選ぶようになり、日本が、私たちの夢みる食料自給率が高くオーガニックな国になるのには、一体全体、どれくらいの年月がかかるのだろう。
そのためには、行政、生産者、消費者のいづれにも、やるべきことがあると思う。
食品に限らず、企業やブランドが、オーガニックやサスティナブルを「うたう」ことは、比較的簡単なことかもしれない。
でもよくよく観察してみると、
「添加物不使用と書いてあるけれど、農薬育ちの安価な輸入原料を使っている」とか、
「有機原料で作られているけれど、生産者の労働環境が劣悪なのが明らか」とか、
幸せな気持ちで購入することができるものなのか疑うべき商品の方が、今は多く感じる。
以前に「ドイツで学んだ、水と、価値観のはなし」という記事の中で、
「みんながやっているから私も」とか「周りの目が気になるから」という理由で何かを始めると、歪みが生じて、本来の目的を見失う、というようなことを書いたけれど、まさにこれらが先立ってしまうことで、消費者に不信感を抱かせてしまい、逆効果が生じてしまうのではないだろうか。
成分表示の規定の緩さや、日本の認定基準が低いことなども、まるで逃げ道が作られているようで、本当に安全で消費者の健康を第一に考えるメーカーが国内で増えることの、邪魔をしてしまっているようにも思える。
そんな時代の中で、消費者として私たちができることは「無知は罪なり、知は空虚なり」の言葉の通り、まずは「知ろうとすること」「学ぶこと」。
「真摯なもの」と「うたっているだけのもの」とを、見分けられようになること。
そして、学んだことを基に、「買わないこと」。
いいと思うものを「買う」という投票と同じくらい、「買わないこと」が大切だと思う。
自分で作ってみる
ずっと以前から、家庭菜園で自分たちがいただく食材を作る、ということに憧れていた。
浅草時代に、ベランダでほそぼそとプランター栽培をしていたのだけれど、猛烈な陽差しの当たるベランダに陽よけも充分にできず、結局、持続的に収穫できたのはバジルくらい。
引っ越すことを夫婦で決めた時から、引越し先には、小さな畑ができる庭があったらいいなと思っていた。
そして、幸運にもその希望が叶い、ちょうど同時期から、パーマカルチャー的暮らしへの気持ちが私の中で一直線になり、土や木材、種などにこだわりを持って作る、今の畑の形となった。
以前に、環境や心身になるべくわるくない暮らし方について「程よく取り入れて、程よく詰む」が、今の私にはちょうど良い、と書いたけれど、畑については、これから何年も自分たちの身体をつくる源となるかもしれない大事なものなので、出来る限りこだわりたかった。
農薬や化学肥料を使わないこのやり方は、超初心者で、なんでも自己流でやってみてしまう私には、ちょっと無謀かもしれない。
でも、いいものに「投票」をしつつ、そうでないものを「買わない」ことを大切にしたい。
そして、やったことのないことに、挑戦してみたい。
消費者でありながら、我が家の食材の生産者になれるなんて、なんて素敵なことだろう。
こんな流れで、畑を作り始めた。
失敗や、難しいことがたくさんあるだろうけれど、まずはトライアルアンドエラー。
発見すること、学ぶことを、たくさん楽しむこと。
そして、これに喜んで付き合ってくれている夫に、とても感謝。
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