なぜ絵を描くのか
セツ・モードセミナーを卒業した後「なぜ絵を描き続けているのか」と訊かれたことがあり、うまく答えられなかった。
子供の頃から絵を描くことが日常だった私にとっては「絵を描くことを辞める」ことの方が不思議な感じがするし、辞める理由もないし、描いていない自分をイメージすることも出来なかった。
20代の半ばくらいまではよく、そういった素朴な疑問を投げかけられることが時々あったので「私はなぜ描くのだろう」と、常に頭の隅でぐるぐると考えていた。
そしてなんとなく、しっくりくる理由にもたどり着いた。
私にとってはシンプル過ぎるくらいの理由だったのだけれど、ひとにどう説明したらいいのか。
簡潔に説明できそうにないので、いつも「ほとんど習慣だからね」とか「しょうがないんだよね」とか言って済ませてきた。
明日から、ブログを始めて最初の作品展示が始まるので、
この「理由」について、初めて言葉にしてみる。
孤独な作業
私にとって絵を描くことは、孤独な作業。
物理的にも、精神的にも。
「精神的に孤独」といっても、特別ひとと違ったり、寂しかったり悲しいわけではない。
どれだけ家族や友人や恋人と仲が良くても、「自分」は永遠に、自分だけ。
言葉にしたり表情や行動に表したり、一度何かに変換しないことには、自分の内側の気持ちを、自分以外の誰かに伝えることはむずかしい。
絵を描くことも、その変換作業のひとつ。
自分の気持ちと、描く手と道具、それだけをもっていれば絵を描けるし、逆に自分の気持ちを表すことを誰かに手伝ってもらうのは、私の場合むずかしい。
表現手段
例えば気持ちを「言葉」に変換する場合、まだ言葉をあまり持たない子供は、うまく自分の気持ちを表せないから、そのほかのいろいろな手段で、表そうとする。
「表情」や「行動」に変換することが苦手な人もいるし、それでいて音や文字に起こすのが得意であったり、また、得意な変換手段を複数持つ器用な人もいたり…。
人は自ずと、自分の出来うる表現手段を見つけて、気持ちを表そうとする。
つまり、人それぞれにその時々で、自分の得意とする(もしくは好き、苦手でない)表現手段を持っているし、
多くの人は、何かしらの方法で外側に表現しなくては、居られないのではないかと思う。
絵を描くという行為自体は、言葉にする、楽器を鳴らす、旅する、歌う、踊るなどの衝動的な行為と同じ場所にあると、私は思う。
当然ここでは「上手い、下手」を自分で追求はしても、他人から問われるべきではないし、自由。
そして自分に合った表現手段が、音楽であれば音楽家に、言葉であれば小説家や詩人に、絵であれば、絵描きになる。
受け手が伴う場合
その行為に「受け手」が伴うと、「自由」の定義が変わり「上手い、下手」も問われ始め、
ここで初めて「孤独」でなくなる。
・自分自身の気持ちをよく知る、向き合う
・表現方法を考える
・表現する
– 孤独はここまで –
・相手に伝わる
・相手が思考する、感じる、反応する
例えば「会話すること」とは、これを表現側と受け手側が代わるがわる繰り返すことであり、そう考えると大まかなプロセスは、絵を描くことやその他の表現方法と変わらない。
ちなみに、受け手がいる場合「情報の伝達」と「気持ちの表現」で違いが出てくる。
私の場合、絵を描くことは「事実」ではなく「気持ち」を伝える手段なので、「情報の伝達」とは別物。
気持ちを忠実に、正確に表すことが出来れば良い、というわけでもないし、
相手にも受け手側として、正確さは一切求めない。
どう受け取ってもらっても良いし、感じ方に正解などなく、自由。
自分という入れ物
これまで、自分の内側の「気持ち」を表現すると書いたけれど、厳密には気持ちだけではなく、「記憶」や「願い」や「情景」、「フェティシズム」や「空想」や「理想」などなど、描く絵によって様々な要素が織り混ざる。
それらは、自分という入れ物の中に時間や経験と共に増していき、どこかの出口を通って、衝動的に流れ出る。
出口が見つからないまま入れ物がいっぱいになると、壊れてしまう。
そうならないために、みんな話したり、書いたり造ったり、表現しているのではないかな、と思うのです。
すごく遠回りした気がするけれど、絵を描き続ける理由を訊かれたとしたら、私が本当に答えたい理由は、上記のようなこと。
情熱的でも、ドラマチックでもないけれど。
絵を描くことは、話をするのと同じように「気持ちを表現する手段」で、
作品展示は「絵から、人に感じてもらう機会」なのです。
そして以前にも書いたように、もし絵を描くことや自分らしく生きることで、誰かの心を動かせたり、感動させることができたら、それは私にとっての、夢の実現。
言葉で綴ること
最後に、最近始めたこの「言葉で綴ること」について。
これは私の中では「情報の伝達」と「気持ちの表現」の、
ちょうど中間辺りにある気がする。
気持ちを言葉にするとき、特にこうして文字にして残していくときは、読んでいる人に正確に伝えたいので、たくさんある中から表現したい言葉に一番近い言葉ひとつだけを選んで、繋げてゆく。
口に出して話すより時間がかかるけれど、おもいを忠実に語れる。
これは私には、絵で描いたり、会話することでは出来ないことなので、たのしい。
私という入れ物に、出口がもうひとつ開通したような感じ。
絵:鴨のスケッチ 2020 紙に水彩
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